白瀬矗(しらせのぶ)林先生の生きざま大辞典

林先生の生きざま大辞典では、日本人で初めて南極大陸に挑戦した白瀬矗(しらせのぶ)という冒険家が紹介されていました。冒険家を志したのはわずか11歳の時。コロンブルやマゼランに憧れを抱いていたという。時は今から100年以上も前のこと。それから40年間努力を重ねてついに南極大陸探検の切符を手にすることになるのだが…

スポンサーリンク
広告(PC)




蘭学者との出会い

白瀬は蘭学者との出会いで5つの戒めを説かれる。

5つの戒め

・酒を飲まない
・タバコを吸わない
・茶を飲まない
・湯を飲まない
・寒中でも火に当たらない

18歳になり志願して軍人になる

上官から南極大陸の前に樺太、千島列島などでトレーニングするようにいわれる
この時に3人の同僚が亡くなっている。ビタミン不足が原因という。壊血病と言われる病気。

さらに極寒の地を目指して外国の密漁船で日本を飛び出した。
船員、コックとして働き北へ、アラスカへ向かった。最低気温マイナス50度の地。

アメリカのピアリーが北極点到達!という知らせを聞く。
そこで、南極はだれも行っていないかった。そこで南極に探検しようとした。

イギリス・ノルウェーの隊も南極に向けて探検しようとしていた。

白瀬には人望も資金もなかったが、南極大陸の応援会長に大隈重信がなる。そこで南極大陸の冒険資金を募る。現在の価値で2億円の資金が集まった。今から100年以上前。

南極大陸に挑戦

26人の仲間も集まった。そしてついに極地探検を求めて出向。イギリス・ノルウェーにつづいて3番目の出向だった。しかも白瀬の改造漁船は200トンしかなかった。

オーストラリアのシドニーで準備をする。オーストラリアはホテルを用意してくれていたがそれを断る。理由は探検的ではないからだった。結局、公園でキャンプした。

シドニーキャンプでは、ゴリラが来たとデマを広められる。ある記者の好意的な記事により一躍人気モノになった。現地の女性にもプロポーズされるほどだったという。

1年2ヶ月、1月16日、ついに南極大陸上陸。南極点に向けて出発。なんと南極点到達目前に食糧不足で撤退した。ノルウェーが一番のりだった。しかしイギリスは無理に断行して全員帰らぬ人となっていた。

そこで白瀬矗の名言
死は努力の終局ではあるが責任の終局ではない

南極点に到達しないのに皆が途中で命を落としたらそれこそみっともないことだと判断した。そこで40年の夢を諦めた。

スポンサーリンク
広告(PC)




広告(PC)




  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする