曽野綾子さんの人生が楽になる考え方のコツとは? 金スマ

曽野綾子さんというメディアにはほとんど顔を出さない、日本の代表的な女流作家が金スマで紹介されていました。年齢はもう80歳を超えている。太平洋戦争も経験し、またエチオピアでのボランティア、日本財団の理事などをされていて経験豊富な小説家。曽野綾子さんの人生が楽になる面白く生きる考え方のコツが番組で紹介されていました。

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小説家になるまで

1931年(昭和6年)東京生まれ。家庭環境は、決していいとは言えないものだった。父親は母親に対して暴力を振るっていたこともあったという。綾子さんはそれを忘れるように小説の世界にどっぷりと浸かっていた。父は外ではものすごくいい人だったという。

母は、あらゆる家事を綾子に伝授したという。その他、家庭教師を付けてもらい作文だけを習ったという。添削は母がする。合格しないと外出禁止という厳しいルールがあったという。小学校を卒業する頃には文章を自在に書けるようになっていた。

太平洋戦争を経験。そこで人間の生死について悟る。父の多面性と母の厳しさが綾子を作った。20歳の時に同人誌に参加する。その後、曽野綾子というペンネームで小説家になる。

人生が楽になる面白く生きる考え方のポイント

番組では、こういった場合はどう考えるべきかというような問答形式で曽根さんの結論をまとめていました。

自分の命を顧みずに見ず知らずの人を助けることができるか?

曽根さんの結論:自分の命が危険にさらされた時は、他人を助けられないのが普通の事。同時に勇気を発揮する可能性も秘めている。人間とはそんないい加減な存在であり、助ける勇気がない自分を責めなくていい。
自分にできっこないことはしない。人間はいい加減な存在であり責める必要はない

着れなくなったボロ服・パーティードレスを援助物資として送るのが善意か?

85年エチオピアでボランティアをしていた時の話。日本から援助物資が届く。しかし、心を痛める出来事が起こる。なんと救援物資の中に子供用のパーティードレスが届く。現地の状況を知っていれば当然送られることがないような物。

高地であるエチオピアは寒さが身にしみる。裂けたシャツやボロ服をきただけの子供たちは寒さに震えている。必要な物は、セーターや長袖のものだった。

曽根さんの結論:善意が必ずしも善意とは限らない。

飢餓に苦しむ母親と赤ん坊

曽野綾子エチオピアでとある親子に出会う。
出会った母親が飢餓で苦しんでいたので母親に飴を渡すが、けっきょく自分だけが食べてしまう。子供には渡すことがなかったという。

この母親を悪い母だと言えるかどうか?

曽根さんの結論:人間はいいばかりの人でもなく、悪いだけの人でもない。良くて悪い人間で、他人もまた同じ。おとなになれない人は、この宿命的な不順で不安定な人間性の本質が分からないだけ。『人間にとって成熟とはなにか』

新聞によせられた人生相談の投稿

隣に済む老女は体が悪かった。そのため、Aさんは老女の買い物を手伝ってあげるなど助けてあげていた。老女には息子がいた。しかし、その息子はAさんに挨拶すらしなかった。最後まで感謝を述べることはなかったという。自分のしてきたことが虚しく思えてきた。

曽根さんの結論:相手に何かを期待することを諦めよう。何かをするときは、道楽と酔狂(すいきょう)で行なうべし。酔狂とは、物好きなこと・好奇心から人と異なる行動をとるという意味です。自分がやりたいと思ったからやるだけ。

障害のある方を連れて海外旅行へ行った時の話

障害のある方を入浴させる機会があり、そこで入浴させるコツを教えてくれた人がいた。その方はかつて、体が不自由な姑にいじめられていたという。その姑との確執の中で入浴させるコツを学んだという。

そのお陰で入浴できない人を入浴させることができた。辛い時間を過ごした女性は多くの障害のある方の世話ができた。
曽根さんの結論:自分の身に起きたことには全て意味がある。そう思って物事を受け入れる。そうすると、今の苦しみが楽になる。

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